晴れも好きだけど雨もすき
どうもこんにちは。
四畳半神話体系というアニメをご存知ですか?
知っている方も知らない方も、おもしろいので是非見て下さい。
独特の言い回し、独特の色使い、独特のテンポ、個性豊かなキャラクター
あたしの1番好きな話は5話です。
宗教というテーマを元に、その違和感で構成された擬似の協調性に対する皮肉やらを、上手いこと表現されています。(個人の感想です。)
今回は"協調性"をテーマに、あたしの感じている違和感をつらつらと書かせてもらいます。
※四畳半神話体系に影響されて、絵のタッチと色の使い方を変えてみました。
まずあたしは昔から「変わっている。」と言われ続けてきました。
変わっているのは、思考や発言、行動といった内面の部分を指して言っているのでしょう。
変わり者扱いされたとき、いつも少しだけ寂しくも、嬉しくも感じます。
日本人は協調性を大事にする生き物のようですが、そもそも協調性とは
異なった環境や立場に存する複数の者が互いに助け合ったり譲り合ったりしながら同じ目標に向かって任務を遂行する素質。
「協調性があれば正しい人間」という単純なものではなく、協調性のある人間にも協調性のない人間にも、それぞれダメ人間も素晴らしい人間、悪人、善人も含まれている。
あたしの解釈でまとめると、
多数派だけでなく、少数派の意見も取り入れてこそ協調性が生まれるってことなんじゃ無いかなと、
あたしが変わり者扱いされるとき、だいたいは少数派の意見を主張したとき。
少数派の意見は、多数派の中で調和を守って生きる人達には、天秤にかけたときあまりにも重たく、リスクの高い答えである事は重々承知の上で発しているつもり。
だから、あたしの意見を採用することを拒む理由も理解しているつもり。
つもりつもった、つもりはそのうち違和感に変わり、上手にリスク回避した人達から、変わり者という発言で異物扱いされている気がしてしまうことすらある。
みんなの輪に溶け込みたくて、近寄ってはみるものの、あたしの感性のズレはあたし本人が1番理解している。
これが寂しく感じる部分。
この本当は輪に溶け込みたいのに、元々兼ね備えいる感性のズレで、上手に輪に溶け込めないもどかしさと、こんなあたしがあたしなんだと意固地になる所と、
全部全部ひっくるめてあたしです。
結局何が言いたいかと言うと、1色で色塗るとそれっぽくなるのと、とりあえず四畳半神話体系の5話、面白いので見て下さい。
おまわり